情緒的な

バックエンドのエンジニアをやっていると、あれこれ運用、調査に追われることが多い。
これらの毎日の対応や必要な開発業務をやっていると、気づけば目の前のことだけで精一杯になっている。
こういう時って、あまり物事を深く考えなくなる傾向がある。

コロナウイルスの影響もあって、久しぶりのミートアップをオンラインで行った。(と言っても二人だけど)
このミートアップでは、物事に対して深い質問を何度も投げかけられる。
一つ一つのことをなんでだっけ?って考えることの大切さを思い出す。

今関わっているサービスについて、ふと考えてみた。
例えばお米。
お米は買ってもすぐには無くならなくて、割と長期間同じお米を食べる。
米びつからお米を取り出す時に、作り手のことを一瞬思い出す。

これは土屋さんのお米。

これって凄いことじゃないだろうか。
自分はオンラインでもコミュ障なので、特段深いやり取りがあるわけではない。
ありがとうございます、美味しくいただきます。と伝える程度。

作っている本人とのほんの小さな関係性が、いろいろな想像を掻き立てるのかもしれない。
そんなとき、このツイートを発見。

関係性に情緒は生まれます。

うんうん、これこれ。
情緒あふれるサービスっていいよね。(少しの合理性もほしいけど)

先日のミートアップで、合理性と情緒性の話をしてもらった。
タイミングって重なるもんだなぁ。

poke-m.com