情緒的な
バックエンドのエンジニアをやっていると、あれこれ運用、調査に追われることが多い。
これらの毎日の対応や必要な開発業務をやっていると、気づけば目の前のことだけで精一杯になっている。
こういう時って、あまり物事を深く考えなくなる傾向がある。
コロナウイルスの影響もあって、久しぶりのミートアップをオンラインで行った。(と言っても二人だけど)
このミートアップでは、物事に対して深い質問を何度も投げかけられる。
一つ一つのことをなんでだっけ?って考えることの大切さを思い出す。
今関わっているサービスについて、ふと考えてみた。
例えばお米。
お米は買ってもすぐには無くならなくて、割と長期間同じお米を食べる。
米びつからお米を取り出す時に、作り手のことを一瞬思い出す。
これは土屋さんのお米。
これって凄いことじゃないだろうか。
自分はオンラインでもコミュ障なので、特段深いやり取りがあるわけではない。
ありがとうございます、美味しくいただきます。と伝える程度。
作っている本人とのほんの小さな関係性が、いろいろな想像を掻き立てるのかもしれない。
そんなとき、このツイートを発見。
「なにを食べたいですか」自分で料理しない人は「焼き肉」「すし」と答える。それって、自分のことしか考えていないのがわかる。🔴「今晩、何を作りますか」とたずねれば、食材のこと、食べる人を考える。料理することで、初めて自然と人間、人間と人間の関係が生まれる。関係性に情緒は生まれます。 https://t.co/Ydu6iniAzo
— 土井善晴 (@doiyoshiharu) 2020年4月7日
関係性に情緒は生まれます。
うんうん、これこれ。
情緒あふれるサービスっていいよね。(少しの合理性もほしいけど)
先日のミートアップで、合理性と情緒性の話をしてもらった。
タイミングって重なるもんだなぁ。